Chiyoda Gakuen
本当でしょうか。何がって?いや、今流行りの「何とか第一主義」や「○○ファースト」とやらの行き着く先は、果たして意図した通りの世界や社会が実現されるのかと言うこと。いかにも自国や組織構成員の利に適う行動原理であるかのように喧伝されていますが、所詮は自己中心主義(ジコチュウ)を競い合う、エゴ剥き出しの醜態を曝しているだけのことでは無いのか、との疑念を拭えないのです。自己利益の最大化にこそ、価値を見出す今日の社会。
実は人間の本音、本質はそもそもそういうものかも知れないと気づきながらも、でもだからこそ人間は自らを律するべく、歴史的制約の限りではあっても、善悪の概念を実定法として暴走を戒めるための様々なルール作りに取り組んで来たのです。勿論今日に至るまで、一切の力関係を抜きにした真の公正・公平な相互関係が構築された例は有りませんが、兎も角も自他の利害調整はこども染みた言いたい放題では上手く行かないことは、自明のこととして了解されていたはずでした。
ところが、心の閂が外れたのか、そんな約束ごとなどものかは、誰も彼もがわが身の都合を言い立て始めたではありませんか。で、どうなるのでしょう?分かり切ったことと言ってしまえば、身も蓋もありませんが、至る所で不信と諍いの増幅です。問題は何故こんな乱暴な言説が罷り通るのかです。幾つもの要因が考えられます。暴走するマネーに翻弄される世界、見通しの効かない先行き、途方も無い格差の拡大、フェイクが真実とされる世界、歯止めを失った軍拡競争と軍事力の行使そしてテロ等々不安と不満が鬱積し、相手構わず食ってかかりたくなっている所に現れた黒か白かの二分法。考えを停止させてしまう劇薬としての「効能」。それが世界中を駆け巡っている狭量な考え方の正体なのでしょう。
だとすれば、妄動のトリックに惑わされず、失われた信頼を今一度彼我の間にしっかり架橋し直す以外に道はありません。そしてそのための最良の処方は、先ず譲ること。「え、そんな馬鹿な」と思われるかも知れませんが、それ以外に私には思い浮かばないのです。それは単に衝突を避けるという消極的な選択肢では無く、本当に必要なものは何か、譲れ無いものは何かを突き詰めるうえで、避けて通れない関門だと思うからです。自分の中にある執着の源に向き合い、世界中の人とともに譲れない、たったひとつの命題。どこまでも生命を繋いで行くその使命の為にこそ。
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