Chiyoda Gakuen
街歩きが好きで、ふらりと出かけるには絶好の季節となりました。春風に身を任せ宛もなく歩いていると、もうそれだけで心が浮き立ちます。生きて、今ここにいることを身体ごと感じる瞬間です。人の輪の中に身を置くことが苦手な私は、宴席ではぽつんとひとり取り残されて、借りてきた猫そのものになってしまいますが、行き交う人々に紛れて過ごすひと時は、あらゆる桎梏から自由になった気分で、晴れやかたるやこの上ありません。自らを取り巻く社会的関係は一先ず横に置き、宇宙の一隅に投げ出されて浮遊する頼り無げな存在。無力ではあるけれど、でもだからこそ己の立ち位置を過たず、歩を前に進めるには何を為すべきか、私にとっては学びへの渇望が喚起される機会でもあります。
大川沿いの八軒家浜から南へ向かって歩く。歩く。そして立ち寄ったそこは、若い頃時間があれば訪れた、天王寺公園内の池泉回遊式庭園「慶沢園」。四阿を渡る風の中、楽しげに語り合う幾組かの人達。ゆっくりと50幾年前の記憶が甦って来ます。これから始まる人生の行き先は見当もつかず、何かと無闇に突っ掛りたがる性癖に、どこか恐れを抱いていたあの時代。折しも、世界では1962年、キューバ危機が勃発し、米ソは核戦争一歩手前まで行きました。最悪の事態は何とか回避したものの、アメリカとキューバの関係が回復するまでにはそれから50年以上もの時間が必要だったのです。又、泥沼のベトナム戦争は、1946年から1976年のアメリカ軍の撤退まで戦火が止むことは有りませんでした。
そして今日、人類はこの地球上に未だ平和を齎すことは出来ないでいます。それどころか、世界中の至る所で、無辜の民が爆弾やテロで命を落としています。この現実に如何に向き合うか?時間を巻き戻しながら、ふと我に返りました。そろそろ夕暮れ時です。庭園を一歩出ると、眩いばかりの夕日の下、公園の芝生は溢れんばかりの人達の歓声と笑顔に包まれていました。「あー、きっとそうだ。世界中の人々が求めて已まないのは、金持ちになりたいとか、贅沢を尽くしたいと望んでいるのでは無くて、家族や恋人、友人達との他愛無いこうした語らいのひと時に違いない。」そう思うと何だか勇気が湧いてくるようでした。だってその実現がどれ程困難であったとしても、この一点で人々は共通の社会像を共有出来るのであれば、草の根からの交流が政治の思惑をも動かし得るのではないか、現にそうした取組は、既に多くの人達によって紡がれていて、私たちを励ましてくれているではないか。「その人々に連なりたい」、改めて切なる思いを強くしました。何だか帰る足取りが少し軽くなったような一日でした。
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